ヴァイオリンに導かれて
ヴァイオリンのパワー
ヴァイオリンからパワーを感じ取ることはよくあることです。ヴァイオリンがとても疲れていると感じたり、買ってほしいと訴えていたり、来歴を教えてくれたり… 妄想かもしれませんが、自分が好きだからこそ感じられることです。パワー(念)という意味では、ヴァイオリンに限らず縁起の悪い場所にはあまり近づかないようにしています。そのような場所にはよくない気を感じることがあるからです。
300年前にヴァイオリンを所有していたのは王族や貴族、教会などが多く聖域的な一面もあり、そこまで酷い念をまとった楽器は少ないはと思いますが、その後に辿ってきた来歴、例えば間違った修理がされていたり、大切に扱われなかったり、経済的な事情でやむなく手放されたり、長い間倉庫で眠らされていたり、あるいは盗品であったりと様々なよくない念がついていないとも限りません。そんな場合にはお祓いをしてきれいな状態にしてあげなければなりません。ヴァイオリンのお祓い?とは何かと言うと、まずはよく観察すること、そしてどのように修理・調整をすればよいか、どんな部品を使うのか、それから弦に至るまで、最終的にどんな仕上げをするのかということです。当社では仕入れた楽器を右から左に取引することはあまりありません。多かれ少なかれ念のようなものはありますから、祓ってあげることが大切です。コンディションを回復させて一番のパフォーマンスを出せる状態にして送り出すことが重要です。楽器はよい修理を施されたり、綺麗に磨いてあげたり、お似合いの衣裳(部品)を付けてあげたりすると、浄化されて本来の力を取り戻し、相応しい人のところに喜んでお嫁に行き活躍してくれるのです。
長年この仕事を続けてきていろんなことがありました。窃盗にも詐欺にも遭い、火事にも遭いました。これもひょっとしたらヴァイオリンの持つ念なのかもしれません。
見えないものを感じ取る
ヴァイオリンを観る目というかパワーを感じ取る能力は、ヴァイオリンと関わるうちに教えられてついてきたというよりも小さな頃からその素養があったようにも思います。日常的に神社仏閣にはお参りによく行ってましたし、地方だったらよくあったことだとは思いますが、野伏のような人にお祓いをしてもらったり、近所に神憑りのような人がいてお祓いをしてくれたりと、そんなことが昔はよくあったものです。そうした目に見えない部分を信用しているということもあるので、ヴァイオリンについても目に見えないところを見ているということもあるのかもしれません。たまによくわからない楽器に出会うこともありますが、そんなときはヴァイオリンと対話することでわかることがあります。それがわかりやすく言えば「感」みたいなもので、逆にそれがないとオールドヴァイオリンを扱うのは難しいかもしれません。学術的なエキスパートのようにヴァイオリンを緻密にわかっているわけではないので、目で見るだけの情報でわかることはそれほど多くはありません。それを補うのが「感」なのです。いいもの、間違いないもの、という感覚、逆に「待てよ?」と思うものはだいたいよくない場合が多い。そして面白いのは「これは儲かるな」と思った瞬間に「感」が働くなることです。途端に目が曇るんですね、そのように何億円もの失敗をしてきましたから身にしみてよくわかるのです。自分でそれだけの授業料を払って勉強してきたわけですからなんとか今日があるのです。
私は神社や祠には毎日お参りしていますし、真言宗の加持祈祷のようなものも小さな頃から経験しています。また子供の頃の遊び場が神社仏閣が多かったように思います。学校の隣にも神社があって鬼ごっこして遊んだり、同級生に寺の息子がいたり、山に行けば壊れかけた神社で遊んだりと、そんな幼少期を過ごしたものです。今でもよく成田山や高野山にはお参りしていますし、お不動さん信仰はもう幼少期から今に至るまでずっと続けています。ものすごく熱心という訳ではないのですが、ご縁があるように思います。東京でお世話になっていた姉の家の場所が高幡不動だったり、その後いつまでもお世話になるのもよくないと思って寮のある職場を探したら、そこが成田プリンスホテルだったりと、何かとお不動さんと縁があるのです。偶然通りかかってふと気づくと真言宗のお寺があったりというのもよくあることです。
こういうヴァイオリンを扱っていると思わぬチャンスもありますし、いろんなことがあります。ですから神仏は敬うというより信用しています。ですから常にお参りにいくことを欠かせません。全国各地の寺社仏閣に年に10回以上、その際は方角を見たり日付も一番いい日を選んでお参りしています。和歌山県の高野山には毎年必ず行きますし、春には年間のご祈祷料も納めています。
最高のオールドヴァイオリンを提供するために
最高の楽器を手にいれるためには元手が必要です。そのために銀行から多額の融資を受けています。この仕事を始めて以来幸いなことに多額の融資を受けることができていますし、その融資を受けたとたんによい楽器が見つかったりもするのです。ストラディバリウスのような三大銘器を扱うというのはとても光栄なことですが、とても大変なことなのです。いろいろな人の情念のようなものも渦巻いていますし、やはり楽器そのもののエネルギーが大きいのです。それだけよい思いもしますが、ある意味いやな思いをすることも多いのです。骨董の世界ではままあることなのかもしれませんが、より高額なヴァイオリンになればなるほど、思いもよらないところから非難を浴びたりなど、厭な思いをすることもあります。ただしこの世界で商売を続けてゆくからにはそのあたりの覚悟も必要な要素ではあります。
こうした商いは単純にものを売っているレベルではなくて、お客様に喜んでもらえばそれでよいというようなものでもない、これは経験しなければわからない独特の世界なのです。
ヴァイオリンに操られている感覚
ちょっと不思議な話をしますが、エネルギーの強いオールドヴァイオリンはまるで生き物ように行きたいところにしか行かないん ですよ。お金があるところに行くのではなくて、行きたいところに行くのです。そして行きたくないところに行ってしまったらすぐま た手放されて、そしてすぐに行きたいところに行き直すのです。ある種不思議な話ですが、やっぱりそうだなと思うところが 多々あります。単なる物ではない、ものすごいパワーを秘めているのだと思います。300年の間に多くの人々に弾き継がれ、多く の聴衆の心に影響を与え続け、様々な念を吸収し続けてきているので、単なる物ではないのです。言ってみればこのような数 奇な運命を辿ってきた楽器は誰でもが手にできるものではないのです。お金だけの世界ではないということがこの仕事を長年 やってきているからこそよくわかるのです。
こうした楽器は巡り巡って自分の所に来てくれた時には嬉しいのですが、売れなくて悩んだりすることも。そうかと思えば金銭的に厳しい時に絶妙なタイミングで売れてまた嬉しい気持ちになったりと、なかなか自分の思い通りにはいきません。人為的に売ろうとして売れるようなものではないのです。
このような強烈な個性を放つヴァイオリンと関わり続ける仕事をすることはもちろん自分で始めたことですが、もはや自分の意志を超えている部分も非常に大きいかもしれません。ヴァイオリンに操られている部分、やらされているという感覚、それは場合によっては8 割以上あるかもしれません。ホームページ以外では特に宣伝は何もしていませんし、ほぼ口コミだけの世界でこれだけ長く事業を続けていられるのは、ヴァイオリンの力以外の何物でもないですね。ヴァイオリンの奉仕者といえば聞こえはよいですが、殆どつかわれてるようなものです。
変な例をあげれば、例えば3億円の元手があったとして、2億円分のヴァイオリンを買い付けたとします。そして残りが1億になった頃に2億円の銘器と出会ったりします。3億円ある時ではなくてこのタイミングです。どうしても手に入れたいと思い、1億円なんとかやりくりしてやっとの思いで手に入れることに成功します。けれども今度はこの楽器がなかなか売れてくれなかったりもします。ある時は銀行が多額の融資をしてくれた途端に銘器と出会ってその楽器がまたすぐに売れていったりもする、悪い言い方をするなら神仏のようなヴァイオリンの見えない力に翻弄されている、ほとんど意味がわかりません。決して楽をさせてくれるわけではないですが、ヴァイオリンに助けられていたりもするのです。だから自分でやっていると思うこと自体が大きな間違いだと思っています。計算高くヴァイオリンを買い、これは幾らで販売すればどれだけ利益が出るか、などとやっているわけではないのです。平常心で、去る者は追わず来る者は拒まず、実はそんな心境なのです。