日本弦楽器がこれまでに取り扱ってきたオールドヴァイオリンの銘器をご紹介いたします。
Nicolo Amati〈ニコロ・アマティ〉
1596-1684 Cremona
17世紀イタリア北西部クレモナ出身のヴァイオリン製作者。祖父は弦楽器製作の始祖的な役割を果たしたアンドレア・アマティ、父はジローラモ(ヒエロニムスⅠ)・アマティ。ニコロはアマティ一族の中 でも最も優れた製作者とされる。彼はもともと父親のコンセプトであるアマティスタイルを受け継いでボディ長350mm前後のやや小さめの楽器を製作していたが、後に『グランド・アマティ・パターン』と呼ばれる最大356mmのそれまでより若干大きい楽器を製作しており、これは特に希少で評価も非常に高い。
ニコロはヴァイオリン製作の指導者としても高名で、アンドレア・グァルネリやアントニオ・ストラディバリ、ジョバンニ・バッティスタ・ロジェリ、フランチェスコ・ルジェッリ、パオロ・グランチーノ、アレッサンドロ・ガリアーノほか、数多くの名工たちに多大な影響を与えた。
Antonio Stradivari〈アントニオ・ストラディバリ〉
1644-1737 Cremona
イタリア北西部のクレモナで活動した弦楽器製作者。1667年から3年間、ニコロ・アマティの工房で楽器の製作技術を学ぶ。その生涯に960挺のバイオリンを含む1,116挺の楽器を製作し、現在約650挺の楽器(うちバイオリンは約500挺)が現存している。1680年、クレモナのサン・ドメニコ広場(Piazza SanDomenico)に工房を構えると、初期はアマティ・スタイルの楽器を製作したが、1690年代に入るとこれまでのスタイルから逸脱した重要な変化が見られるようになる。「ロングストラド」と呼ばれるこれまでよりも長いボディ、幅広でフラットなアーチ、そして深く濃い赤色のニスを使用した新しいスタイルの楽器を製作するようになる。1698年になると「ロングストラド」よりもやや短いモデルで生涯の完成形を得る。この頃の楽器は非常に完成度が高く「黄金期」(1700~1720年頃とされている)と呼ばれている。晩年は、仕上げの完成度では黄金期に及ばないものの、初期のようにやや高いアーチの楽器を製作した。この晩年の楽器は音色の美しさが一段と優れており極めて評価が高い。
Guarneri Del Gesu〈ガルネリ・デル・ジェス〉
1698-1744 Cremona
18世紀イタリアの弦楽器製作者。ヴァイオリン製作家のガルネリ一族の三代目、本名はバルトロメオ・ジュゼッペ・アントーニオ・ガルネリ。祖父はアンドレア・ガルネリ。父親はジュゼッペ・ジョヴァンニ・バッティスタ・ガルネリ(ジュゼッペ・フィリウス・アンドレア(アンドレアの息子ジュゼッペ)とも呼ばれる)。ラベルに、IHS(Iesus Hominem Salvator:人類の救世主イエス)の三文字と十字架を組み合わせたマークを記載したため、「ガルネリ・デル・ジェズ(イエスのグァルネリ) 」と呼ばれている。彼のキャリアは1826年~44年に早逝するまでと非常に短く、生涯に製作した楽器も200挺~300挺程度といわれている。現在同等の評価を受けるストラディバリの作品と比べ絶対数が圧倒的に少なく、取引額はストラディバリ以上になることも珍しくない。製作者としての黄金期にはこれまでにないほど低いアーチ、長めのCバウツ(ボディ中央のC型のくぼみ)、大きく力強いf字孔など、個性的な独自の作風を確立。音色も特徴的で豪快で重厚な音質と甘美な音質を併せ持つ。特に最晩年は芸術的な感性を優先して型にとらわれず下書きなしで製作した楽器も生み出され、個体によって全く違う個性を放っている。残念ながら、彼の作品の価値が認められたのは彼の死後、パガニーニが1743年製「カノン砲」を演奏してからのことである。